清水 亮氏による東 浩紀・シラス批評
from つまり、20世紀後半以降の世界はビジュアル・ファーストとも言える。
哲学者で批評家の東 浩紀氏が立ち上げたシラスというサービスは、これまでのニコニコ生放送やYouTubeライブとは一線を画す新しいコンセプトと料金体系で成功を収めている。
シラスは月額制の動画配信サービスであり、それも「見放題」などというものではない。むしろ、「個」を強調し、コンテンツは少ないが内容を濃くした上で濃いファンたちだけから配信収入を得ることを目的としている。
沢山のコンテンツを揃えて月額定額料金で楽しめるというNetflixやAmazon Primeのようなコンテンツとは真逆のコンセプトで、しかしシラスのコンテンツは常に生放送かそれに近い形での配信だけが行われているので、これはメディア論的にいえばローレゾでクールなメディアということになる。
メディア論における「クール」とは、「何が起きるかわからないゆえに人の興味を強く惹きつける」ものである。このためにはローレゾでクールでなければいけない。ローレゾであるべき理由は、作る側が疲れないことが大事だからだ。
一方でNetflixやAmazon Primeは、「ホット」で「ハイレゾ」である。メディア論における「ホット」は「押し付けがましい」という意味になる。4KHDR放送のガリガリに作り込まれた映画を見るわけだから、見る側も疲れてしまう。実際、在宅ワークへの以降でNetfixを片っぱしからみたはいいが、流石に見るのに疲れてしまったという人は少なくないのではないだろうか。
YouTubeやTikTokも、登場当初はローレゾでクールだったのだが、次第にページビュー数や広告クリック数が収入に直結するようになってから様相が変わった。つまり、お金を稼げてしまう以上はハイレゾ化してまうし、ハイレゾになってしまったら、クールではなくなってしまうのである。
そして、さらに最近思ったのは、たとえば筆者がサンフランシスコ在住のYouTubeであるdrikin氏と定期的に行っているYouTube番組などは、完全に「対談」であり、視覚情報をほとんど必要としない。
画面を見ても老けた男が二人深刻そうに顔で話をしているだけで楽しくもなんともない。
しかし、だからこそ惹きつけられる、という視聴者がいるのである。
思えば、東浩紀氏と10年近く前に立ち上げたゲンロンカフェという場所も、基本的にはわざわざ五反田まで出かけていかなければならず、しかも雑居ビルの6Fという決して恵まれているとは言えない立地でのスタートだった。
そしてゲンロンカフェまでわざわざ来てチケットを買って話を聞く人たちというのは、もはや視覚情報に頼っていないのである。たとえばスライドを出すと一斉に顔が上がる。壇上からそれがよく見える。ということは、彼らはスライドを出す直前までは下を向いていたのだ。
ゲンロンカフェは、いわば教会の日曜礼拝みたいなもので、その場にきて触覚的・聴覚的体験(メディア論では、聴覚は触覚の一部である)をすることを目的にしていたわけだ。
シラスは、ゲンロンカフェのオンライン版であり、明らかに聴覚が優位で視覚が補完的な役割だけを持っている。Siriも、音声だけでは伝えきれない情報を伝えるときだけ補助的に画面に地図やWebサイトを表示するようになっている。
つまり、今の世界はAudio Firstな世界へ移行しつつあると考えておかしくないのだ。
なぜSlackでは伝わらなくてZOOMなら伝わるのか。
テレワークが増えた現代人はむしろ今一番聴覚を重視し始めているのである。
https://wirelesswire.jp/2021/09/80655/